イヨンボ ヒストリー

第四章 木村栄宝からイヨンボへ

妻との結婚のときに知った両親の祖国への思い。家族と離れ離れになり、異国で生活しなければならなかった両親の苦境。民族学校で学んだ妹たちは韓国語ができたが、日本の教育を受けてきたヨンボは韓国語ができなかった。自分が父親になってそれが悔しかった。40歳を過ぎたころ、老いていく両親の思いに寄り添いたいと韓国語を学び始めた。ハングル講座では、言葉だけでなく歴史や料理も習った。そして、抵抗詩人として生きた尹東柱についても知った。衝撃的だった。同志社大学にある歌碑「序詩」の前に立った時、即興で曲をつけて歌った。

 

2001年5月のライブのタイトルは「アリランの風にのせて」にした。尹東柱の「序詩」を歌うのに、木村の名前では歌えなかった。ヨンボはイヨンボでなければならなかった。

 

2005年、故郷の生野区で5月8日にコンサート「在日の心」を行う。韓国人として芽生えたアイデンティティだったが、何度か訪韓するうちに、韓国の韓国人とは異なる「在日」としてのアイデンティティを持つようになったヨンボ。韓国人であるにもかかわらず、日本語しか話せないため、韓国人と認識してもらえないことのギャップ。ヨンボの思いは自然と「在日」の1世に向かった。ヨンボのルーツは韓国であるが、それは両親だった。異国で生き、老いていく1世の心に響く歌を届けたかった。コンサート「在日の心」が開かれた5月8日が韓国では「オボイナル」であることを知り、日本にも両親の日を作れないかとヨンボは考えた。そこで考えたのが8月8日。母(はは)でありパパ(父)であるこの日を選んで8月8日に「両親の日」コンサートを続けている。

 

後年、イヨンボの歌手活動を取り仕切きってきたのが、由華利だ。彼女はコンサート制作や関係者挨拶のため、日本全国を飛び回る。そして、コンサート終了後にはお礼状を出し、一人ひとりのファンを大切にしてきた。また、コンサートの際には、二人の子どもたちも出演、イヨンボファミリーとしてヨンボの脇を固めてきた。

2010年、CD「ほら!春がきた!!」を発売。5000枚以上を売り上げ、DAMカラオケにも配信中。

2011年、東日本大震災の直後から被災地で100回近くのミニライブを実施し、復興を願った。また、桜前線北上ツアーで沖縄から北海道まで全国88か所でライブを行う。

2015年からラジオ大阪「イ・ヨンボのほら!春がきた!!」パーソナリティを担当。

2015年12月韓日国交正常化50周年記念「イ・ヨンボの春爛漫コンサート~韓日にアジアに世界に永遠の春を告げる」では、東京民団会館、大阪NHKホールでコンサートを開催。