イヨンボ ヒストリー

第二章 TOKYO

東京では、住みこみのアルバイトをし、歌のレッスンを受けた。

数々のオーディションを受け、1975年フジテレビ「君こそスターだ!」に出場「シクラメンのかほり」を歌い優勝。しかし、ヨンボが家業を継ぐと信じていた父の猛反対に合い、デビューのチャンスを逃す。

優勝したことが自信になり、父との約束はあるが、家業を継ぐのではなく、歌手になると決意。ヨンボ19歳のことだ。

 

その後も、大阪には帰らず、クラブやパブでの弾き歌いやキャバレーのムード歌謡のボーカリストとしての下積み生活。夢は歌手デビュー。ライブでオリジナル曲を歌い、チャンスを待った。

 

そんな下積み時代に出会ったのが妻の由華利さん。初めて出会ったのは23歳。東京うまれ、東京育ち、ちゃきちゃきの江戸っ子だ。楽しい話や明るい笑顔、一緒にいると元気になれる由華利さんにヨンボは惹かれた。結婚したい。下積みの苦しい時代だったが、彼女も同じ気持ちだった。

 

ところが、二人の結婚は、日韓版ロミオとジュリエットだった。両方の親から猛反対された。苦しい時代を経験したヨンボの両親は日本人と結婚してほしくなかった。国際結婚が珍しかった時代だ。韓国人に対する差別もあった。日本人の彼女の両親は娘が苦労するからと韓国人と結婚するのを反対した。

彼女は両親から親子の縁を切るか、ヨンボと別れるかを迫られた。そして、ヨンボの父は息子の結婚相手は韓国人でなければならないと譲らなかった。

だが、二人はロミオとジュリエットにはならなかった。聡明な彼女は考えた。

 

“日本国籍を捨て、韓国国籍を取って韓国人になればいい。”

 

そして、両親にはいつか必ず理解してもらうと彼女は家を出た。その後も説得を続け、ヨンボの父と彼女の父が話をし、5年がかりで二人は結婚することができた。