イヨンボ ヒストリー

第三章 OSAKA

 結婚を認めてもらう条件で大阪に戻った。

由華利が初めてヨンボの産まれ故郷を訪れた衝撃は今も忘れられない。ヨンボの産まれ故郷は在日同胞の多住地域、生野区だ。自転車に乗ったおばちゃんたちが道路をはさんで声をはりあげての会話。カルチャーショックを感じながらも、韓国人の嫁になろうと努力した。

 

 大阪で二女三男の子宝に恵まれた。長女は妻に似て明るくお話好き。長男は日本人の由華利と結婚した証が国籍に残っている。妻は結婚時に韓国国籍の申請をしていたが、思いのほか時間がかかった。

 

長女、長男の出産時には日本国籍だった。ところが、1年違いで日本の国籍制度が父系制ではなくなったため、長女は韓国籍、長男は日本国籍が認められた。以前は父親が日本国籍である場合にのみ日本国籍が認められたが、父親に限らず両親どちらかが日本国籍であれば、その子どもも日本国籍を取得できるようになったのだ。

二男の出産の4日前に韓国籍が取得でき、由華利も韓国籍になったので、二男、三男、二女は韓国籍になった。ただ、国籍は韓国籍でも、日常生活では通称名の木村で生活した。