イヨンボ ヒストリー

第一章 OSAKA

1956年、済州島から来た父(李春満)、母(高祥玉)のもと、5人兄妹の長男として大阪に産まれる。 父は苦労のすえ、プラスチック加工工場を営んでいた。妹たちは民族学校に通ったが、ヨンボは将来、家業の工場を継ぐので正しい日本語を話すことが必要と考え、父はヨンボを日本の公立小学校に通わせた。

 

名前は木村栄宝。

 

ところが、小児喘息の発作のため、学校にはほとんど通えなかったという。寂しい気持ちを紛らわすため、独学でギターを弾き歌を歌ったのがイヨンボの音楽の原点だ。その後、中学、高校と進学し、文化祭では、フォークソングを歌い人気者になる。そのときの感動が忘れられず、父を説得。家業の工場を継ぐ条件で、1度だけ本格的に歌を学びたいと歌謡教室に通う。そこで、演歌の作曲家、桜田誠一氏からスカウトされ、上京。